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働いている期間が長くなると、色々な患者さんと触れ合うのが看護師の仕事です。

今回は「患者さんから教わったこと」というテーマで看護師Kさんに記事を執筆していただきました。

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看護師となってそろそろ10年近く…

「看護師はやりがいのあるお仕事」とよく言いますが、私は看護を通してやりがいを感じた事は、お恥ずかしながらあまりございません。

むしろ、看護を通して色々な事を教わる事が多いです。「あ〜、もっと頑張らないといけないな」「こうしたらもっと良かったのではないかな」と感じる事が多く、そこにたまにやりがいがくっ付いてくるくらい…

 

「看護師は看護の中に無償の何かを求めている」

 

とある患者様が、生きる為に後遺症覚悟の手術を受けられました。手術後はやはり後遺症として麻痺が出ていましたね。麻痺があっても元の生活にもどる為、リハビリ病院へ行かれたその方は、「ありがとうございました。リハビリ頑張ってきます。」という言葉を残してリハビリ病院に向かわれました。その顔は笑顔でやる気に満ちて…その表情を見る事が出来たとき、私は「やりがい」という言葉を初めて感じる事が出来ました。看護師として5年目くらいの出来事であったかと思います。その人の気持ちに沿って関わったら関わっただけの見返りが返ってくるのだと見送りの際に感じたのを覚えています。「見返り」なんて、いやらしい話ですね。でも、看護師には必要であり、それが看護の原動力になり、良い看護が提供できるのだと思います。

 

「自身の非力さを呪う」

 

後遺症と戦う患者様をたくさん見てきました。今後、口から食べる事が出来ないであろうと、先生・看護師・リハビリ共々感じていた、そんな患者様も家族が諦めなければ、家族のサポートがあれば口から食べる事が出来る様になっていったのです。この時ばかりは家族のサポート・思いは素晴らしいちからになるのだと実感したものです。私たちのちからだけでは無理なのです。

病院ごとに患者様に対する看護の仕方は違います。「チームナーシング」「機能別看護」「プライマリーナーシング」呼び方様々、その他諸々あります。

私が当初働いていた病棟では、プライマリーナーシングを行っていました。

 

そして、私が担当する事となった方もまた、病と戦っていました。

「末期の脳腫瘍」「余命数ヶ月」それが主治医の診断でした。奥様は本人には伝える事が出来ず、お一人で抱えていましたね。とても言えない…言わない。それが奥様の選択でした。その時点ではご本人は脳の浮腫により足が動きにくいという症状のみであり、主治医からの治療を受けたら治って帰られると考えていたでしょう。

点滴を受け日々動きにくい足を必死に動かしながら、トイレに行かれていました。脳浮腫が落ち着けば歩きやすくなり、点滴をとめ経過観察。また歩きにくくなれば点滴…日々緩解と増悪を繰り返し…確実と歩きにくくしているのは目に見えて分かる程でした。ご本人はそれでも自力で歩く事を諦めず、また家に帰る事も諦めていませんでした。奥様もまた、同じ気持ちであり「出来れば家で看取りたい、帰らせてあげたい」と、とても熱心な思いを抱いていました。その気持ちは主治医も知っていましたが、病状として病院で看取るべきという考えを持っていたため、入院は継続。私自身も現状は難しいという考えを奥様に伝え、点滴治療をしながら歩けなくならない様に関わっていきましょうと話し、奥様も了承していました。

状況は1ヶ月を過ぎ変化がありました。脳浮腫が点滴をせずとも落ち着いてきた頃合いでした。ご本人も自力でトイレには行く事が出来ている状態。そして主治医から、抗がん剤をしてみませんかという提案がなされました。

ご本人、奥様はこのタイミングで家に帰りたいと考えていた矢先の事でした。治療方針とそれをうける側の意見の相違が見えました。主治医はそれでも、熱心にご本人・奥様に説明、二人はとりあえずの納得をされ、抗がん剤治療開始。

一日目より状況は変わってしまいました。副作用で嘔気が出現し、食事が摂れなくなってしまったのです。それまでは食事も食べられていた為、ご本人もショックを受け、それにより、床に臥せってしまいました。トイレにも行けず、おむつ内に尿・便の失禁です。嘔気を引き金に、生活の質が下がってしまいました。ご本人・奥様ともに「何故、抗がん剤の治療を受けると言ってしまったのか。こんな事になるなら、あの時家に帰っていれば良かった」と、とても後悔されていました。この状況となっていても奥様は家に連れて帰る事を諦めず…、ご本人も同じ気持ちであったようです。しかし、口に出す程の気力はありませんでした。主治医には家族の思いを伝えましたが、抗がん剤治療は継続。自身の力のなさを悔やみました。数日で抗がん剤1クール目終了。その後も話す事は出来る様になりましたが、自力でトイレへ行く事は出来ず、車いすでのトイレ誘導。体力は抗がん剤投与の数日で格段に落ちてしまっていました。

それから、食事は充分に摂ることはできなくなり、点滴を開始。点滴は脳腫瘍にとっても栄養。結果、症状増悪。

悪循環のまま、主治医からは2クール目の抗がん剤投与の指示がでました。本人・奥様の返事はもちろんNO。主治医も引き下がりませんでした。私だけの意見では主治医の方針は変わらず。管理職を巻き込んでの主治医との治療方針をめぐったバトル。なんとか主治医から、抗がん剤をいかないという言葉を引き出せた時は、奥様は泣きながら喜んでご本人に報告していました。

 

「家で看取りたい」「生かすよりも活かす看護がしたい」

 

ない血管に点滴を入れ、少しずつでも食べたい物を食べる。排泄はおむつ内失禁。この頃の患者様の状況となります。驚かないで下さい。それでもお二人は家に帰る事を諦めていなかったのです。それは主治医との治療方針バトルを終えてから更に強くなっていました。

これで私が諦めたら看護師が廃りますよね。動きましょう。なんとしても本人・奥様が望む環境でのエンドステージを…。

まず、主治医に退院できないかという相談をすると…まぁ、「無理」と言う言葉が返ってきました。そりゃ、そうです。裏を返せば、医療の放棄ですもの。家族が望んでいたとしても。

何があればいい?家に帰っても同じ様な環境があれば良い。在宅看護、訪問看護です。幸いに訪問医療も兼任している内科の医師がいたため、管理職を再び巻き込みつつ相談。快くお受け頂く事が出来、在宅へ帰れる様に準備。一番大変だったのは主治医の承諾でした。それは管理職と内科の医師から説得してもらうようお願いしてみました(私の身分ではどうあがいても無理だったので)。やっと主治医からの承諾を得る事が出来ました。

自宅での生活をするにあたり、ひとつ大きな問題がありました。点滴です。もう、その頃には毎日の様に点滴をし、毎日の様に点滴ルートの入れ替え(血管も脆く、なくなっていきました)をしていたので、「看護師が常にいない状態で血管が漏れたら誰が入れ替える?」困りました。更に家族から追加注文が入りました。「昔から好きだった温泉に入らせてあげたい」です。どうしましょう。相談の後CV(中心静脈栄養)ではなく、ポート(埋め込み式中心静脈栄養)で栄養管理をしていこうということになりました。これでばっちり。

準備が整い、退院する頃には衰弱がひどく…いえ、逆に元気になっていました。念願の「家に帰れる」が実現したのですから。

退院当日。良かったです、その日私は勤務でした。本当にお二人は笑顔でした。そんな顔を見る事が出来、私はとれも嬉しかったです。

 

「医療のかたちと本人・家族の思い」

 

それからの経過は訪問医療の内科の先生より、聞く事が出来ました。その内容は伏せさせて頂きますね。

少々感情的になってしまった事もありましたが、このお二人と関わる事が出来たことは私にとって宝となっています。家族の思いの強さをこれ程までに強く感じた事はありませんでした。そして、その思いに応える事が出来た私にも驚いています。その後しばらく看護について深く悩みました。正直もぬけの殻になっていたかもしれません。

日本の医療水準は世界と比べ高いと思います。しかし、今回のケースのように医療を望まず、いかに生きるかを望んでいる方も多いのではないでしょうか。生かす為の医療ではなく、個人の人生に活かす事が出来る医療・看護を模索し、提供出来るのがプライマリーナーシング、個別性看護であるのではないか、看護ではないかと、このお二人から教えて頂きました。そして私は、そんな環境で看護師を名乗り、看護がしたいと望みます。